初任給引き上げで既存社員は?給与逆転と転職の実態

初任給アップ、既存社員は?給与差と人材の移動を読む 組織・人材設計

新卒の初任給を引き上げても、既存社員の給与が同じように上がるとは限りません。給与が上がった人でも、新人との差が縮まり、仕事や育成の負担に処遇が見合わなくなったと感じることがあります。

ただ、企業が一様に新人だけを優遇しているわけでもありません。リクルートワークス研究所の調査では、初任給と既存社員の月額基本給を両方引き上げた企業が68.1%。初任給だけを上げ、既存社員を据え置いた企業は3.5%でした。

それでも、給与への不公平感や転職意向は消えていません。「会社が賃上げを実施した」という事実と、「自分の貢献が報われている」という社員の実感は、同じではないためです。

この記事では、初任給の推移、企業の調整状況、既存社員の受け止め、実際の転職動向を順に見ていきます。採用する企業だけでなく、働く会社を選ぶ社員の側からも、人材市場の変化を読み解きます。

  1. 初任給引き上げで既存社員はどうなる?給与逆転と差の縮小
    1. 既存社員も昇給するとは限らず、昇給しても給与差は縮まる
    2. 月給・年収・基本給をそろえて比較する
  2. 初任給はどれだけ上がった?2022~2025年の推移
    1. 大卒の所定内給与は3年間で約3.4万円増加
    2. 採用企業の約9割が引き上げても、採用難は続く
  3. 既存社員の給与も上がっている?企業の対応を比較
    1. 両方引き上げ68.1%、新卒だけ引き上げ3.5%
    2. 原資の追加と、社内での配分は別の問題
    3. 初任給のニュースだけでは見えない報酬改定の中身
  4. 新卒の方が給料が高いと、既存社員はどう感じるか
    1. 賃上げへの賛成と、処遇への不公平感は両立する
    2. 昇給した人も、経験や貢献が報われたとは限らない
    3. 給与が上がっても、後輩を育てる意欲が下がった人がいる
  5. 給与への不満は転職につながる?将来の見通しと実際の動き
    1. 社内で待つより、他社で処遇を変える選択
    2. 高評価者だけでなく、現場を支える標準層にも移動の意向
  6. 初任給の競争が、人材の空洞化につながる仕組み
    1. 採用人数を満たしても、実務と育成を担う人は補えない
    2. 新卒採用の成果と、事業を支える人材の確保がずれる
  7. 経験者の流出は、別の企業の採用機会にもなる
  8. 初任給引き上げと既存社員についてのFAQ
    1. 初任給が上がれば、既存社員も自動的に上がりますか?
    2. 新卒の賃上げで、実際に何割の既存社員が辞めていますか?
  9. まとめ|企業が人を選ぶように、社員も会社を選んでいる
  10. 参考資料

初任給引き上げで既存社員はどうなる?給与逆転と差の縮小

初任給の引き上げは、新しく入社する人へ提示する給与条件の変更です。既存社員の給与をどう変えるかは、各社の賃金表や改定の対象範囲によって異なります。全員の基本給を引き上げる会社もあれば、若手だけを調整する会社、既存社員の給与は据え置く会社もあります。

その結果として起こるのが、新人の給与が先輩を上回る「給与逆転」です。逆転するほどでなくても、経験を積んだ社員と新人の給与差が急に小さくなることも、現場の不満につながります。

既存社員も昇給するとは限らず、昇給しても給与差は縮まる

例えば、初任給が22万円、先輩社員が26万円だった会社を考えます。翌年の初任給を25万円に引き上げ、先輩社員にも5,000円の昇給を行った場合、次のようになります。

比較項目 改定前 改定後
新卒の初任給 22万円 25万円
既存社員の月給 26万円 26万5,000円
両者の給与差 4万円 1万5,000円

金額は仕組みを示す説明例です。実在企業の給与ではありません。

説明例。初任給が22万円から25万円、既存社員が26万円から26万5,000円へ上がると、給与差は4万円から1万5,000円に縮まる
図をタップ・クリックすると拡大できます。

この会社は「既存社員も昇給した」と説明できます。給与逆転も起きていません。しかし、先輩社員の仕事に、新人への指導、顧客対応、トラブル時の判断まで含まれていれば、以前より小さくなった給与差が納得できるとは限らないでしょう。

昇給の有無、給与逆転の有無、貢献に見合う処遇かどうかは、それぞれ別の問題です。「全員上げたので解決した」と考えると、この違いが見えなくなります。

月給・年収・基本給をそろえて比較する

給与逆転を考える際には、見出しに出てくる月給だけでなく、何を含んだ金額かも重要になります。

比べるもの 確認する中身 読み違えやすい点
基本給 賃金表上の本体部分 手当込みの初任給と直接比べない
月給・月収 基本給、手当、固定残業代など 金額が高くても残業代を含む場合がある
年収 月例給与、賞与など 月給が近くても賞与で差がある場合がある
処遇全体 役割、勤務地、昇給見通し、福利厚生 転勤や職務の違う採用区分を同条件と考えない

例えば賞与の一部を月給へ移せば、毎月の給与は増えても年収は変わりません。一方、年収では先輩が上でも、基本給の差が縮まったことを、経験や役割への評価の変化と受け止める社員もいるでしょう。

給与の違いを読み解く出発点は、同じ会社・同じ勤務条件で、どの報酬がどう変わったかです。

初任給はどれだけ上がった?2022~2025年の推移

初任給が短期間に上がると、以前の水準で入った社員の給与との関係も変わります。まず、全国の新規学卒者の賃金を見てみます。

大卒の所定内給与は3年間で約3.4万円増加

厚生労働省「賃金構造基本統計調査」の新規学卒者の数値は、次のように推移しています。

調査年 大学卒 高校卒
2022年 22万8,500円 18万1,200円
2023年 23万7,300円 18万6,800円
2024年 24万8,300円 19万7,500円
2025年 26万2,300円 20万7,300円

出典:厚生労働省「賃金構造基本統計調査」各年の新規学卒者の表。男女計、企業規模10人以上の一般労働者の所定内給与額。残業代や賞与を含む年収ではありません。

厚生労働省の新規学卒者の所定内給与額。2022~2025年に大卒は22万8,500円から26万2,300円、高卒は18万1,200円から20万7,300円へ上昇
図をタップ・クリックすると拡大できます。

大卒は3年間で月額3万3,800円、約14.8%の上昇です。これは各年に入社した人たちの平均であり、2022年入社の同じ人が14.8%昇給したという意味ではありません。

採用企業の約9割が引き上げても、採用難は続く

マイナビが2026年6月に採用担当者3,590社へ行った調査では、2027年卒の初任給を引き上げた企業は89.1%。引き上げ企業の43.3%は、3年以上連続で引き上げていました。理由には、求職者へのアピールが59.8%、全社員の給与引き上げが49.7%挙がっています。

この動きは、採用条件を一度見直せば終わるものではなく、他社も引き上げ続ける競争になっていることを示しています。

別のリクルートワークス研究所の調査では、大学生・大学院生の採用予定数に対する10月1日時点の充足率は、2025年卒の76.8%から2026年卒の75.5%へ下がりました。賃上げ企業が増える一方で、採用の難しさは続いています。

ある会社の提示額が上がれば、その会社を選びやすくなる学生はいるでしょう。しかし、多くの企業が同じ行動を取れば、採用市場全体の給与水準が上がります。採用競争で必要な金額が上がることと、各社が必要人数を確保できることは同じではありません。

このため初任給の引き上げは、企業にとって選ばれるための施策であると同時に、今いる社員への配分をどうするかという経営上の問題にもなっています。

既存社員の給与も上がっている?企業の対応を比較

では、実際の企業は新卒だけを引き上げているのでしょうか。ここは印象だけで判断せず、同じ企業に両方の給与変化を尋ねた調査から見ると、状況がはっきりします。

両方引き上げ68.1%、新卒だけ引き上げ3.5%

リクルートワークス研究所は、2025年入社の大卒初任給について回答した3,407社を対象に、既存社員の月額基本給との組み合わせを集計しています。

初任給の変化 既存社員の月額基本給の変化 企業の割合
引き上げ 引き上げ 68.1%
引き上げ 据え置き 3.5%
据え置き 引き上げ 7.7%
据え置き 据え置き 19.8%
その他 どちらか、または両方を引き下げ 0.4%
― 無回答 0.5%

出典:リクルートワークス研究所「ワークス採用見通し調査(新卒:2027年卒)」図表13。調査は2025年10~11月。調査全体4,071社ではなく、初任給について回答した企業が分母です。

「新人だけを上げ、既存社員を据え置く」が企業全体の主流という結果ではありません。初任給と既存社員を両方上げる会社が多く、既存社員だけを上げた会社もあります。

企業規模で見ると、対応できる範囲には差があります。

従業員規模 両方引き上げ 初任給のみ引き上げ 両方据え置き
5~299人 57.6% 4.4% 25.5%
300~999人 72.6% 3.4% 17.0%
1,000~4,999人 80.1% 2.3% 13.1%
5,000人以上 83.2% 1.2% 13.7%

出典:同調査・図表13から抜粋。各規模の初任給回答企業が分母。既存社員だけの引き上げ等を省いているため、各行は100%になりません。

小規模の企業では、両方を上げる割合が低く、両方据え置く割合が高くなっています。採用条件を改善したくても、社内全体を調整する余力が十分でない企業があることも、市場を見るうえでは外せません。

帝国データバンクの2026年度調査にも、既存社員との賃金バランスを考えると初任給を上げにくいという製造業の声や、逆転を避けるため引き上げを先送りする情報サービス企業の声が掲載されています。初任給を据え置いた企業にも、社内の処遇を優先する判断が含まれています。

原資の追加と、社内での配分は別の問題

同じワークス調査で、初任給を引き上げた2,454社に原資を聞くと、新たに人件費を追加した企業が78.9%、既存社員を含む人件費の原資内で調整した企業が15.9%でした。

したがって、新人の賃上げが必ず既存社員の取り分を直接削っている、ともいえません。人件費の枠自体を増やす企業が多数あります。

ただし、追加した原資を誰に、どれだけ配るかは別の判断です。新卒を月3万円上げ、既存社員は月5,000円上げる場合でも、両方引き上げた企業に含まれます。全体の人件費が増えたとしても、現在の業務を担う人が十分に報われているかまでは、この企業調査から分かりません。

限られた予算のなかで新卒を優先すれば、既存社員の昇給をもっと厚くする選択肢を見送ることにもなります。採用市場への対応という説明は、その配分を社員がどう評価するかまで決めてくれるものではありません。

初任給のニュースだけでは見えない報酬改定の中身

企業事例では、初任給の引き上げと、既存社員の報酬体系の変更が一緒に行われることがあります。

ファーストリテイリングは2023年、日本の報酬改定で初任給を25万5,000円から30万円へ、新人店長の月収を29万円から39万円へ引き上げる計画を公表しました。他の従業員についても、能力や実績などを評価するグレードごとに報酬を見直す内容でした。

2025年の再改定では、新卒の初任給を30万円から33万円へ、新人店長を39万円から41万円へ引き上げるとともに、本部・営業の正社員の報酬テーブルも改定するとしています。

さらに、2026年3月入社の経営幹部候補となる新卒については、初任給を37万円へ引き上げています。採用区分によって条件は異なりますが、入社時の金額が繰り返し改定されている例でもあります。

ここで見たいのは、同社の給与が高いかということだけではありません。初任給の変更が、入社後の役割と報酬の道筋にどう接続されているかです。報酬テーブルの改定は全員一律の昇給とは異なりますが、新卒の金額だけを切り出したニュースでは、この仕組みが見えにくくなります。

企業の対応 採用市場への意味 既存社員が見る点
新卒の提示額を先行して上げる 入社時の条件が改善する 現在の貢献や育成負担はどう評価されるか
全体の賃金表を改定する 新人も既存社員も対象になる 誰がどれだけ上がり、給与差はどう変わるか
役割・能力に応じて報酬を改定する 入社後の処遇も訴求できる 評価基準が実際の貢献と合っているか
既存社員との調整を優先して初任給を据え置く 新卒への金額訴求は弱まる 既存社員への投資がどこまで行われるか

会社公表の報酬改定から分かるのは制度と金額で、社員全員の満足度ではありません。そこで次に、働く側の調査を見ていきます。

新卒の方が給料が高いと、既存社員はどう感じるか

賃上げへの賛成と、処遇への不公平感は両立する

Job総研が2026年3月に、就業中の20~50代の登録者302人へ行った調査では、新卒給与の引き上げに賛成する人は73.5%でした。一方、新卒の方が自分より高給だった場合、不公平を感じる人は87.5%、転職を検討する人は72.2%にのぼります。

これは「実際に給与が逆転した人の72.2%が転職する」という調査ではありません。新卒の方が高給という条件を提示して、その受け止めを聞いた結果です。

不公平を感じる264人に理由を聞くと、経験年数の違いが63.3%、自分たちの給与が上がらないことが49.2%、会社への貢献度の違いが47.7%でした。

新人の生活や採用市場の事情を理解することと、自分への処遇を受け入れることは別です。社員が感じているのは、新人への嫉妬だけではなく、現在の仕事を支えている自分の扱いへの疑問とも読めます。

新卒が仕事を覚えるまでには、先輩が説明し、失敗を補い、顧客や他部署との調整を引き受ける時間がかかります。その貢献を日々求められる一方、処遇では新人の条件が優先されれば、会社が誰へ投資しているのかを意識するのは自然でしょう。

昇給した人も、経験や貢献が報われたとは限らない

パーソル総合研究所は、正社員301人以上の企業で働く20~64歳の正社員2,500人に、勤務先の給与制度などの見直しが自分へどう影響したかを尋ねています。以下は、2023年以降に見直しがあった1,879人の回答です。

まず、自分の給与額の変化を見ます。

給与が上がった人の割合は、年代が高いほど低い

年代 自分の給与が上がった人
20代 67.2%
30代 59.0%
40代 51.0%
50代 47.8%
60代 36.4%

若い年代ほど給与が上がった人の割合が高く、40代は約半数、50~60代は半数未満でした。

次に、自分と部下・後輩との給与差がどう変わったかを見ます。

後輩との給与差が縮まった人は、20~40代で約2~3割

年代 部下・後輩との給与差が縮まった人
20代 26.1%
30代 20.6%
40代 23.3%
50代 16.4%
60代 15.9%

出典:パーソル総合研究所「賃上げと就業意識に関する定量調査」PDF26ページ。2025年6~7月調査。どちらも各年代の給与制度などの見直しがあった人に対する割合で、別々の質問への回答です。

一つ目は自分の給与額、二つ目は後輩との距離を表しています。自分が昇給しても、後輩の昇給幅が大きければ給与差は縮まります。会社の賃上げは、金額と社内での位置づけの両方を変えるのです。

「上がらなかった人」には、自分が対象から外れたという問題があります。「上がった人」にも、その上げ幅が新人との関係や仕事の負担に見合っているかという問題が残ります。既存社員を二つの立場から見ると、賃上げ実施率だけでは拾えない違いが見えてきます。

物価高もこの受け止めに重なります。少し給与が上がっても生活の余裕が増えなければ、「会社は上げてくれた」と「十分に報われた」の間には距離があります。全国の平均年収と生活実感の違いは、平均年収と購買力を分析した記事で詳しく扱っています。

給与が上がっても、後輩を育てる意欲が下がった人がいる

さらに同調査は、処遇改定で自分の給与が上がった人に限定して、後輩・部下の育成意欲との関係を分析しています。ここには、賃上げ実施率だけでは見えない結果が出ています。

後輩・部下との給与差について「どちらともいえない」とした人では、育成意欲が下がった割合は13.8%でした。一方、給与差が小さくなった人では38.0%です。また、将来の給与の伸びを期待できなくなった人では、育成意欲が下がった割合は47.3%に達しました。

処遇改定で給与が上がった社員でも、後輩との給与差が縮まった層の38.0%、将来の給与の伸びへの期待が低下した層の47.3%が育成意欲低下を回答。中立回答層はそれぞれ13.8%、12.5%
図をタップ・クリックすると拡大できます。

出典:同調査PDF27ページ。2023年以降の処遇改定で給与が上がった人を対象にした、別々の設問による比較です。後輩・部下を育てる意欲が下がった側の回答割合であり、実際に指導を放棄した割合ではありません。

賃上げしていても、会社への貢献と処遇の関係が崩れたと受け止められれば、育成を支える意欲は弱まる。新人を獲得する条件だけを良くしても、その新人が育つ環境まで良くなるとは限らないことが、この結果から見えてきます。

新人は給与を決めた当事者ではありません。それでも、配分への不満が職場の育成関係へ及べば、新人も十分に教わりにくくなります。経営が採用のために行った判断の影響が、採用された本人と現場の双方へ返ってくる点に、この問題の難しさがあります。

給与への不満は転職につながる?将来の見通しと実際の動き

社内で待つより、他社で処遇を変える選択

既存社員が会社の対応から読み取るのは、今回の昇給だけではありません。「この先も、実績より採用の都合が優先されるのか」「経験を積んでも待遇はあまり変わらないのか」という、残り続けた場合の見通しです。

パーソル総合研究所の同調査では、40代以下で、3年後の給与が変わらないと見込む人の継続就業意向は27.0%でした。将来の給与に伸びを期待できないことが、勤務先に残る意向の低さと結びついています。

会社は将来の人材構成を考えて新卒を採用します。同じように社員も、自分の数年後の生活やキャリアを考えて働く場所を選びます。会社の事情を理解したからといって、その会社に残る義務まで生まれるわけではありません。

意向だけでなく、実際に転職した人の動きも確認できます。マイナビが2025年の転職者1,446人へ行った調査では、給与の低さや昇給の見通しが転職理由に挙がっています。

給与・昇給を理由に転職した人の割合

転職理由 回答した人の割合
給与が低かった 23.2%
今後の昇進・昇給が見込めなかった 15.4%

昇進・昇給の見通しを理由にした人の割合は、前年調査と比べて30代で3.7ポイント、50代で4.3ポイント増えています。これは給与の増加率ではなく、その理由を挙げた人の割合の変化です。

転職後の平均年収は、20代で21.5万円、30代で32.4万円増加

年代 転職前後の平均年収の差
20代 年間+21.5万円
30代 年間+32.4万円

出典:マイナビ「転職動向調査2026年版(2025年実績)」。2025年に転職した20~50代の正社員1,446人。転職理由は複数回答、年収の差は年代別平均です。

これらは新卒の賃上げを原因とした転職に限定した数字ではありません。しかし、給与や昇給見通しに不満を持つ人が、実際に勤務先を変え、その先で収入を変えている市場があることを示しています。

既存社員の給与を低く抑えられているように見えても、その人が市場からも低く評価されているとは限りません。他社が経験を評価して採用条件を提示すれば、社員は社内での昇給を待つ以外の方法を取れます。

高評価者だけでなく、現場を支える標準層にも移動の意向

では、辞めるのは優秀な人からなのでしょうか。パーソルの原表では、給与が今後上がらない場合の転職検討割合は、20代の高評価層で43.2%、標準層でも38.6%でした。評価は、本人が直近の人事評価を数値に置き換えて回答したものです。

ただ、高評価ほど一律に転職意向が高い関係ではありません。30代では、中上位層が39.1%、上位層が28.9%となっています。

ここから見えるのは、離職への備えを一部の突出した人材だけに限定できないことです。日々の業務を安定して回す社員にも、勤務先を変える選択肢があります。

昇進すればよいという説明も、その役割の負担と報酬が見合わなければ響きません。管理職になりたくない理由を分析した記事で扱ったように、役職を受けること自体が、社員にとって魅力ある選択とは限らないためです。

初任給の競争が、人材の空洞化につながる仕組み

採用人数を満たしても、実務と育成を担う人は補えない

経験者の流出が問題になるのは、欠員が1人できるためだけではありません。その人が複数の機能を担っているためです。

例えば、顧客からの難しい問い合わせを判断し、通常業務も回しながら、新人2人を教える社員がいたとします。この社員が辞め、翌月に新人1人が入れば、人数は元に戻ります。しかし、問い合わせの判断、仕事の優先順位づけ、新人への指導まで元に戻るわけではありません。

管理職が残っていても、直近の実務や顧客の事情を代替できるとは限らず、別の経験者に業務が移ります。その人が通常の仕事と教育を抱えれば、新人へ十分に教える時間も減ります。新人の独り立ちが遅れ、経験者の負担が長引く、という連鎖です。

人員数では見えにくい変化 経験者が抜けた後に残る仕事
業務知識の喪失 例外対応、顧客ごとの経緯、過去の判断の再確認
育成者の減少 説明、レビュー、ミスの修正を残った人が引き受ける
管理職への集中 承認や調整だけでなく実務の穴埋めも求められる
新人の独り立ちの遅れ 採用しても事業への貢献が始まるまで時間がかかる

給与差の縮小に伴う育成意欲の低下と、昇給見通しによる転職意向を重ねると、採用後の育成環境まで弱る仕組みが見えてきます。経験者が抜けるだけでなく、次の経験者を育てる力も弱まることが、人材空洞化を深めると考えられます。

新卒採用の成果と、事業を支える人材の確保がずれる

採用人数や内定承諾率は、採用活動の結果として分かりやすい数字です。一方、経験者が残ることで維持される品質や、新人を育てる時間は、誰かが辞めるまで問題として見えにくい部分があります。

ここで採用目標の達成だけが強く評価されると、初任給を上げた成果は採用部門へ、教育や既存社員の不満への対応は現場へ分かれてしまいます。新人は採れたのに現場は楽にならない、というずれが起こる理由です。

原資が限られるなかで、新卒採用だけの給与条件を先に良くする施策は、現在の戦力を維持する投資を後回しにしかねません。その負担が表れた頃には、再び採用と教育へ費用を払うことになります。

この問題を、人事担当者が売上を理解していないからとだけ捉えると、経営の配分判断が抜け落ちます。予算や評価目標を決め、現場の維持と将来の採用を両立させる立場は経営にもあります。採用部門の目標が達成されたことと、会社全体の人材確保が成功したことを分ける視点が重要になります。

マーケティングで新規顧客の獲得ばかりを優遇し、現在の売上を支える既存顧客の離反を招く構図とも重なります。新しく入ってくる人数を増やしても、蓄積した関係や能力を失い続ければ、事業は強くなりません。

経験者の流出は、別の企業の採用機会にもなる

人材不足のなかでも、人は企業間を移動しています。ある会社で十分に評価されなかった経験が、別の会社では事業を進めるために必要な能力になるからです。

例えば、顧客対応と新人指導ができる社員を、前職より高い給与で採用する会社を考えます。新卒を一から育てる場合と比べれば、人件費は高く見えるかもしれません。しかし、その人が担当できる売上、業務の安定、既存社員の教育負担の軽減まで含めれば、高い給与で経験者を採ることに合理性が出てきます。

もちろん、中途入社でも自社の商品や運用を覚える時間はかかります。それでも、仕事の基礎や専門経験がある人と、業務経験のない人とでは、立ち上がるまでに必要な支援が異なります。

人材への投資 会社が得ようとするもの 成果までに抱える負担
新卒採用と育成 将来の戦力、次世代の人材構成 教育時間、育成担当者、独り立ちまでの期間
既存社員への処遇改善 現在の実務・顧客対応・育成力の維持 継続する人件費と評価・配分の調整
経験者の中途採用 不足する能力や経験の獲得 採用費、自社業務への適応、既存社員との処遇調整

どれか一つだけで事業を支えられるわけではありません。ただ、新卒の獲得競争に参加する一方で、すでに働ける人の価値を見直す企業には、別の獲得機会があります。

ここで、他社から採った人だけを厚遇し、自社にいた人の処遇を置き去りにすれば、同じ問題を繰り返します。経験者の獲得が企業の成長につながるかは、その人を採れるかだけでなく、現在いる社員も含めて貢献に報いる関係を続けられるかにかかっています。

初任給引き上げと既存社員についてのFAQ

初任給が上がれば、既存社員も自動的に上がりますか?

初任給の変更だけで、既存社員全員の給与が同じ額・同じ率で上がるわけではありません。会社が改定する賃金表、対象年次、職務や評価によって異なります。企業が既存社員の基本給を引き上げたと回答していても、個々の社員の上げ幅までは別に確認する内容です。

新卒の賃上げで、実際に何割の既存社員が辞めていますか?

本記事で扱った資料には、その因果に絞った全国の退職割合はありません。Job総研の72.2%は「新卒の方が高給だった場合に転職を検討する」という意向です。実際の転職理由と組み合わせると給与・昇給見通しが重要であることは分かりますが、この数字を退職率へ置き換えることはできません。

まとめ|企業が人を選ぶように、社員も会社を選んでいる

会社は採用市場を見て、提示する条件を変えています。社員もまた、会社が誰に、何のために報酬を配っているかを見ています。採用上の事情を理解しても、自分の貢献が報われないと考えれば、別の会社で働く選択肢があります。

その移動によって経験や育成力を失う会社がある一方、経験者の力を評価して取り込める会社もあります。人材不足という同じ市場環境のなかで、会社ごとの事業を担う力は分かれていくでしょう。

初任給の競争で問われるのは、新人を何人採れたかだけではありません。現在いる人と、これから加わる人が、事業を支える力として残るかどうかです。

参考資料


本記事の文章・表・図解・グラフは、Skill Business Architecture Labが独自に編集・作成しています。引用・紹介する場合は、引用箇所が分かる形で、記事名・サイト名・記事URLをご記載ください。

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