最低賃金が上がる。従業員の給与を見直す。その支払いに見合う売上が増えるかどうかは、まだ分からない。
中小企業の経営者にとって、最低賃金への対応は給与計算の変更だけでは終わりません。増えた人件費を支払った後に、会社を続けるための利益が残るのか。そこまで考える必要があります。
価格転嫁や生産性向上は大切です。しかし、値上げには取引先がいて、設備投資には資金と時間が必要です。「賃上げに合わせて努力してください」という言葉だけでは、来月以降の支払いに答えられません。
まず、少なくとも今の利益を維持するために、増える人件費をいくら補う必要があるかを把握する。そのうえで、今ある顧客・信用・技術も使いながら、利益を確保する方法を選ぶ。 本記事では、制度と海外の動きを踏まえ、この順序で中小企業の対応を考えます。
10月以降の最低賃金引き上げと、国が中小企業に求める対応
最低賃金は地域ごとに引き上げられる
2026年度の地域別最低賃金は、10月1日以降、都道府県ごとに順次改定されます。厚生労働省の公表では、引き上げ額は時間額54〜65円、全国加重平均は1,177円です。厚生労働省「令和8年10月の制度変更」
全国加重平均は、自社の従業員に一律に適用する金額ではありません。事業場のある地域の最低賃金と発効日を確認する必要があります。業種によって適用される特定最低賃金も含め、まずは自社の適用額を確かめましょう。地域別最低賃金の全国一覧
賃金が上がっても、販売価格や受注量が同時に増えるとは限りません。売上や他の費用が変わらないまま人件費だけ増えれば、その分だけ利益が減ります。
例えば、売上100、人件費30、その他の費用60、利益10という会社を考えます。人件費全体が仮に5%増えると、人件費は31.5、利益は8.5です。人件費の増加率は5%でも、利益の減少率は15%になります。
これは説明のための単純化した例です。最低賃金が5%上がれば全社の人件費も5%増える、という意味ではありません。ただ、利益の薄い会社では、人件費の変化が経営に大きく響くことが分かります。
国は価格転嫁や生産性向上による原資確保を促している
国は賃金の引き上げと合わせて、価格転嫁・取引適正化、製品やサービスの高付加価値化、生産性向上などを通じた賃上げ原資の確保を促しています。経済産業省「2026年版中小企業白書・小規模企業白書」
支援の一つである業務改善助成金は、事業場内最低賃金の引き上げなどの条件を満たした企業に対し、生産性向上のための設備投資等にかかった費用の一部を助成する制度です。厚生労働省「業務改善助成金」
こうした支援は検討する価値があります。一方、設備投資への助成が、そのまま毎年増える給与の全額を埋めてくれるわけではありません。投資後にどの仕事が改善され、どのように利益につながるのかは、自社で組み立てる必要があります。
企業側が気になるのは、支援策の有無だけではないはずです。価格交渉が成立するのか、必要な自己資金を用意できるのか、効果が出るまでの支払いをどうするのか。賃上げの支払時期と、原資を生む取り組みの成果が出る時期には、差が生じ得ます。
人件費が増えたからといって、簡単に価格転嫁できるわけではない
売り手の原価だけで、取引価格は決まらない
「人件費が上がったので、来月から料金を上げます」。この説明が必要でも、それだけで取引先の了承を得られるとは限りません。
相手には年間予算があります。契約の更新時期もあれば、競合の見積もりとの比較もあります。発注担当者が事情を理解してくれても、価格を変える権限を持っていないこともあるでしょう。
同じ業務を同じ条件で提供する契約なら、担当者は社内に対して、なぜ支払額を増やす必要があるのかを説明しなければなりません。原価上昇が正当な理由であっても、説明・承認・予算調整には時間がかかります。
実際、経済産業省の2026年6月の会見では、官公需について、交渉を申し出ても断られた、予算制約を理由に転嫁を断られたという中小企業の声が紹介されています。経済産業省の会見概要
国が価格転嫁を促すことと、目の前の契約で、必要な額を必要な時期に回収できることは別の問題です。
交渉は進んでも、労務費の転嫁率は50.0%にとどまる
中小企業庁の「価格交渉促進月間(2026年3月)フォローアップ調査」では、「価格交渉が行われた」割合は90.7%でした。一方、コスト上昇分の価格転嫁率は54.2%、労務費に限ると50.0%です。経済産業省・調査結果(2026年6月26日公表)
ここでいう転嫁率は、増えたコストのうち、どの程度を販売価格へ反映できたかを示す調査の集計値です。転嫁に成功した企業の割合でも、個々の企業が一律に半分を転嫁できているという意味でもありません。自社の取引条件によっては、これより厳しい状況もあるでしょう。
官公庁の公表値で見ても、労務費上昇分の全額回収には届いていない。 最低賃金の引き上げに対応する企業にとって重要なのは、自社ではいくら回収できずに残るのかという点です。値上げで負担増のすべてを補える前提にはせず、契約ごとの交渉結果を確かめ、回収できない分を他の方法でどう補うかを考える必要があります。
価格交渉を進めながら、回収できない分への対応も考える
だからといって、価格改定を諦める必要はありません。原価が上がっているなら根拠を整理し、価格や契約条件を見直す交渉は必要です。無償で増えている作業や、契約範囲を超えた対応を整理する余地もあります。
ただし、全顧客が同じ時期に、同じ割合の値上げを受け入れる前提では計画を立てにくいでしょう。
年120万円の利益改善が必要でも、価格改定で見込めるのが60万円なら、残る60万円をどう作るかを考える必要があります。交渉が長引く場合は、成立するまでの期間も含めて見積もります。
価格転嫁は重要な手段ですが、利益確保の計画をそれだけに預けないことが大切です。
韓国では、最低賃金の大幅引き上げ後に何が起きたのか
賃金格差は縮小したが、雇用の伸びは鈍化した
韓国では、最低賃金が2018年に16.4%、2019年に10.9%引き上げられました。2年間の累積では約29%の上昇です。OECDは、この急速な引き上げが賃金格差の縮小に寄与した一方、補助金による支援があっても、中小企業には人件費増の負担が生じたと整理しています。OECD「韓国経済調査2020」
その時期、雇用はどうなったのでしょうか。2018年の雇用者数の伸び率は0.4%に鈍化し、2009年以来の低さとなりました。OECDの2019年の分析は、製造業の事業再編に加え、最低賃金の大幅引き上げが、特に低技能労働者の雇用増を抑えたと指摘しています。これは雇用者数全体が減ったという意味ではなく、増加の勢いが弱まったということです。OECD「経済見通し2019年第1号・韓国」
つまり、賃金格差が縮まる効果があっても、企業が人を雇い、賃金を支払い続ける余力まで一緒に改善したわけではありません。最低賃金だけが雇用鈍化の原因ではありませんが、賃上げの効果と企業負担が同時に生じた事例です。
賃上げによる消費拡大を、自社の利益計画の前提にしない
賃金が増えた人の消費が増えることは期待できます。しかし、雇用や労働時間、物価も変わるため、最低賃金の上昇率だけで社会全体の購買力がどれだけ増えるかは判断できません。まして、その消費が自社の商品やサービスへ向かうとは限りません。
日本の経営者がこの事例から考えたいのは、「賃金が上がれば消費が増え、増えた人件費も売上で吸収できる」と見込んでよいのかということです。
自社の人件費は改定に合わせて増えます。一方、受注が増える時期や金額は未定で、価格転嫁にも相手の予算や契約という壁があります。消費拡大への期待だけで支払いを賄う計画にはできません。まず自社の負担増を把握し、どの取引やサービスから利益を確保するかを具体的に考える必要があります。
現状と賃上げ後を比べ、今の利益を維持するために必要な金額を把握する
自社の人件費がいくら増えるかを確認する
最初に、今の売上・人件費・その他の費用・利益を確認します。主要な契約やサービスごとの採算も見られると、どこへの影響が大きいかが分かります。
次に、最低賃金改定の影響を受ける従業員ごとに、必要な賃金の引き上げ額と労働時間を積み上げます。会社負担の関連費用や、他の従業員との賃金差を調整する場合の費用も加えます。
例えば、時給60円の引き上げが必要な従業員が10人いて、それぞれ月100時間働くなら、基本となる賃金増は月6万円、12か月で72万円です。ここに必要な関連費用を加えます。会社全員の給与に、全国平均の上昇率を掛ける計算ではありません。
少なくとも今の利益を残すには、増える負担をどう補うか
次の表は、年間の営業利益で比較した架空の例です。売上などは変わらず、人件費が120万円増えると仮定しています。
| 確認する項目 | 金額 |
|---|---|
| 現在の営業利益 | 300万円 |
| 人件費増加後の営業利益見込み | 180万円 |
| 今の利益を維持するために補う金額 | 120万円 |
この会社が現在の利益300万円を維持するには、年間120万円の負担増を補う必要があります。価格改定で60万円を確保できるなら、残り60万円を追加販売や業務改善などで作る。この金額を基準に、取り組む方法と規模を考えます。
売上の入金より給与の支払いが先になる場合もあるため、対策の効果が出るまでの資金繰りも併せて確認します。

図1:労務費の価格転嫁率50.0%を当てはめた仮定例。調査の集計値が個々の企業に当てはまるという意味ではありません。出典:中小企業庁「価格交渉促進月間(2026年3月)フォローアップ調査」を参考に作成(AI生成図)。
価格転嫁以外で、不足する利益を作る方法を探す
すでに持っている経営資産から、選択肢を広げる
利益の不足額が分かったら、それをどこから作るかを考えます。新しい事業や大きな設備投資を検討する前に、自社がすでに持っているものを見直してみます。
長年取引している顧客、現場へ入れる関係、担当者からの信用、従業員の技能、保有設備、定期的な訪問機会。これらは貸借対照表にそのまま載らなくても、事業を進めるうえで使える資産です。
中小企業の「お付き合い」は、値上げをお願いするためだけの関係ではありません。相手の仕事を知り、相談され、まだ解決できていない問題に気づける接点でもあります。
そこから、既存サービスの範囲を広げる、別のサービスを追加する、既存の技能で新しい顧客へ提供する、といった選択肢が出てきます。
何を売れるかと、いくら利益が残るかを一緒に考える
既存サービスを上位の内容へ広げるのがアップセル、関連する別のサービスを追加するのがクロスセルです。呼び方より重要なのは、相手に必要なものを、自社が採算の合う条件で提供できるかです。
既存顧客に新たな需要がなければ、新規顧客を探す方がよい場合もあります。その場合は、広告費や営業工数、受注までの時間を含めて比較します。
追加売上が100万円あっても、そのための人件費・材料費・外注費などが95万円なら、利益への寄与は5万円です。営業や管理の仕事が増えるなら、その費用と時間も見込む必要があります。
価格改定で確保できる利益、追加販売から残る利益、手戻りなどを減らして改善できる費用を組み合わせ、必要額へ届くかを確認します。同じ工数削減を複数の施策で重ねて計上したり、一度限りの助成を毎年の利益として扱ったりしないことも大切です。
清掃会社の例で、既存資産から利益を作る方法を具体化する
顧客の困りごとと、今ある接点を組み合わせる
ここからは、法人向けの日常清掃を請け負う架空の会社で考えます。既存顧客の施設には定期的に訪問しており、現場の状況や担当者の困りごとを知っています。
例えば、顧客がトイレットペーパーや洗剤の在庫確認と補充を別々に手配し、管理に手間をかけているとします。清掃時に在庫を確認し、必要な消耗品の補充までまとめて提供できないでしょうか。
別の施設では、定期的な床清掃のたびに業者を探しているかもしれません。自社に技能と設備があれば、年間の実施計画と合わせて提案できます。ただし、資格や専門技能が必要な作業を、既存スタッフがそのまま担当できる前提にはしません。
| 追加提案の例 | 生かせる既存資産 | 顧客にとっての価値 | 自社で確認する負担 |
|---|---|---|---|
| 消耗品の在庫確認・補充 | 訪問機会、現場への理解 | 発注や在庫管理の手間を減らす | 仕入れ、保管、配送、補充時間 |
| 定期的な床清掃 | 技能、設備、施設の把握 | 業者探しや日程調整をまとめる | 作業時間、人員、消耗品、設備稼働 |
| 他拠点へのサービス展開 | 既存の信用、提供手順 | 複数拠点の品質や窓口をそろえる | 移動、現場管理、採用・配置の必要性 |
同じ顧客との取引でも、追加負担は大きく異なります。特に複数拠点への展開は、売上を増やせても、人員や移動費が大きく増えるかもしれません。既存顧客への提案だから低コストで済む、と決めつけずに比べます。
発注担当者が説明できる価値を示す
年間100万円の清掃契約を105万円に改定する場合、発注担当者は既存業務の価格が上がる理由を説明します。
一方、在庫管理や補充の手間を減らすサービスを年間20万円で追加する提案なら、「20万円で何が解決するのか」を説明できます。
追加提案の方が必ず通りやすいということではありません。ただ、発注側が判断する材料は変わります。自社の人件費が増えた事情に加え、相手の仕事をどう改善できるかを示せるからです。
担当者が毎月何回発注しているのか、欠品時に誰が対応しているのか。そうした実態を聞き、提案によって減る手間や改善する状態を具体的に示します。既存契約の価格改定が必要なら、それは別に進めます。
必要な利益から、提案規模を逆算する
仮に、一つの追加サービスの年間売上が12万円、追加の仕入れ・労務・配送・管理等の費用が合計6万円なら、利益への寄与は年6万円です。年間120万円の改善をこのサービスだけで目指すなら、20社分が必要になります。
これは20社に売れるという予測ではありません。「需要がありそうな顧客は何社か」「その社数へ提供できるか」を調べるための逆算です。価格改定などで60万円を確保できれば、残り60万円に対して、このサービスと別の施策を組み合わせることもできます。
まず数社の困りごとを確かめ、提供内容と価格、追加工数を見積もる。自社の必要利益と照らし合わせながら、取り組む方針を具体化していきます。
利益を作る方針が決まってから、運用とAI・DXを考える
先に、誰が何を実行するかを決める
追加サービスを提供する方針が決まったら、営業から現場、請求までの運用を考えます。
誰が対象顧客を選び、誰が提案するのか。現場は何を記録し、誰が仕入れや手配を行うのか。例外やクレームには誰が対応するのか。通常業務に追加できる時間はどれだけあるのか。
方針の段階で利益が出るように見えても、運用を具体化すると、移動や確認の手間が想定以上になることがあります。その場合は、対象顧客や提供範囲、価格を見直します。
この順序なら、会社が利益を作るために、どの仕事を増やし、どの負担を軽くすべきかが見えてきます。
利益を作る仕事を先に決め、そのための時間をAI・DXで確保する
AI・DXを考える際は、次の二つの順序を区別したいところです。
- 効率化から始める: AI・DXで業務時間を減らす → 空いた時間で何をするか考える。
- 利益を作る方針から始める: 利益確保の手段を決める → 実行に必要な仕事と不足する時間を確認する → AI・DXなどで業務を効率化し、その時間を確保する。

図2:利益を作る仕事を先に決め、その実行に必要な時間をAI・DXなどで確保するという検討順序(AI生成図)。
前者でも、空いた時間を有効に使えるなら問題はありません。ただ、利益を増やす使い道が見つからなければ、「同じ仕事を少ない人数でできる」という成果だけが残り、人件費削減へ向かいやすくなります。
今の体制を維持しながら利益を確保したいなら、後者の順序で考える方が、その目的に結びつけやすくなります。先に従業員が取り組む仕事を決めるため、効率化で生まれた時間をどこへ振り向けるかが明確になるからです。
例えば、先ほどの清掃会社が消耗品の補充サービスを追加すると決めたとします。ところが、担当者は日々の報告書作成や転記に追われ、顧客の在庫管理の困りごとを聞いたり、提案したりする時間が取れません。
そこで、報告内容の入力を一本化して転記を減らし、AIで報告書の下書きを作るなど、担当者の事務負担を軽くする方法を検討します。確保した時間は、対象顧客への聞き取りと提案に使います。「AIを入れたから新しい仕事を探す」のではなく、「追加サービスで利益を作るために、担当者の時間を確保する」という順序です。
ツールを導入しなくても、依頼書式や担当分担をそろえるだけで必要な時間を作れる場合もあります。導入費・運用費・出力の確認作業も含め、実際に時間と利益が残る方法を選びます。
実際の利益と現場の余力で見直す
最初から全顧客へ展開せず、少数の顧客で運用してみます。売上や追加費用に加え、従業員の作業時間、残業、顧客対応の増減も確認します。
計画した利益が残り、既存サービスの品質も維持できているか。空いた時間が本当に提案や提供に使われているか。実績を見て、広げる、内容を変える、いったん止めるという判断をします。
AIを入れたことや売上が増えたことだけを成果にせず、会社に必要な利益の確保へ近づいているかで評価することが重要です。
まとめ:会社に必要な利益から逆算し、方針と実行手段を決める
最低賃金の引き上げへの対応で、経営者がまず考えるべきなのは、会社を続けるために必要な利益を確保できるかということです。
国の支援策を確認し、必要な価格交渉を進める。同時に、改定後の自社の利益を見積もり、不足分をどこから作るかを考える。既存の顧客・信用・技術・設備から、相手の困りごとを解消するサービスを提供できないかも、その選択肢になります。
それでも企業側の努力が必要なことに変わりはありません。しかし、漠然と「生産性を上げる」と考えるより、必要な利益額、提供できる価値、追加費用、現場の時間へ分けた方が、着手する仕事を選びやすくなります。
最低賃金の引き上げに対応するには、まず今の利益を維持するために補う金額を把握し、その利益をどの事業・サービスから作るかを決める。その実行に必要な時間や体制を整える手段として、AI・DXを検討する。この順序で考えることが、今いる従業員と事業を続けながら、会社に必要な利益を確保するための出発点になります。


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