大手企業のサイバー攻撃被害がニュースになった翌朝、こんな会話が起きる組織があります。
「うちも何かやった方がいいよな」「誰か担当者を置くか」「セキュリティの資格でも取らせるか」
この会話自体は正しい問題意識から始まっています。しかし「誰かに担当させる」「資格を取らせる」という結論に至るまでに、一つ飛ばしているステップがあります。
「自社は何が怖いのか」という問いです。
セキュリティの不安は漠然としています。「何となく危ない」「事故が起きたら困る」という感覚はあっても、何がどう危ないのかが言語化されていない状態が多い。その状態で担当者を置いても、担当者は何をすれば良いか分からない。資格を取らせても、その資格で何を守るのかが決まっていない。
IPA情報セキュリティ白書2025によると、中小企業でセキュリティの「専門部署または担当者がある」企業の割合はわずか9.3%にとどまっており、「組織的には行っていない(各自の対応)」企業が69.7%と大幅に増加しています。「誰かに担当させなければ」という意識はあっても、組織として設計されていない状態が実態です。
本記事では、セキュリティ担当者の社内育成を考え始めた経営者・人事向けに、不安の正体を3つに分類するところから始め、機能・役割・資格の設計までを整理します。
この記事でわかること
- セキュリティ担当者の育成を考え始めるインサイト(不安の動機の整理)
- 不安の正体を3分類で可視化する方法(CIA三原則の経営者版)
- 不安の種類によって変わる内製化すべき機能と資格
- 育成が機能する組織・しない組織の違い
セキュリティ担当者の社内育成を考え始めるきっかけ
経営者がセキュリティ担当者の育成を考え始めるとき、その背景にある動機はおおむね3つに分かれます。
①外部からの刺激:インシデントのニュースを見た 大手企業のランサムウェア被害・個人情報漏洩・サプライチェーン攻撃がニュースになると「明日は我が身」という感覚が生まれます。特に同業他社や取引先が被害を受けた場合、経営として無視できない緊張感が生まれます。IPA情報セキュリティ白書2025において、ランサムウェア攻撃は10年連続・サプライチェーンを狙った攻撃は7年連続で「情報セキュリティ10大脅威」の上位にランクされており、業種を問わず脅威が継続していることが分かります。
②内部からの気づき:社員の意識の低さを感じた パスワードの使い回し・不審メールへの対応のなさ・退職者のアカウントが残ったままになっている。こうした実態を知ったとき「このまま人数が増えたら統制が取れなくなる」という懸念が生まれます。
③成長からの課題:会社規模が変わった 少人数のときは「みんな知り合い」という信頼関係でカバーできていたセキュリティ管理が、人数が増えると機能しなくなります。採用が続く中で「以前のような杜撰な運用は限界」という認識が生まれます。
いずれの動機も「何となく危ない」という感覚から始まっており、不安の正体が言語化されていないことが多い。この状態から育成を始めると、担当者も「何をすれば良いか分からない」という状態に陥りやすくなります。
不安の正体を3分類で可視化する|CIA三原則の経営者版
情報セキュリティには「CIA三原則」という国際的な基本指針があります。機密性(Confidentiality)・完全性(Integrity)・可用性(Availability)の3要素です。専門用語ですが、経営者の不安に置き換えると分かりやすくなります。
不安①|情報漏洩への不安(機密性)
「顧客情報が外部に漏れたら取引先に謝罪しなければならない」「社員が間違って機密データを外部に送ってしまった」「退職者が情報を持ち出した」という不安です。
許可された人だけが情報にアクセスできる状態を維持することが目的であり、アクセス権管理・暗号化・ID管理といった対策が中心になります。
不安②|データ破壊・改ざんへの不安(完全性)
「ランサムウェアで重要なデータが暗号化されて使えなくなった」「誰かがデータを書き換えてしまった」「バックアップを取っていなかった」という不安です。
情報が改ざん・破壊されず正確な状態を維持することが目的であり、バックアップ設計・改ざん検知・権限管理といった対策が中心になります。
不安③|システム停止への不安(可用性)
「サイバー攻撃でシステムが止まって業務が回らなくなった」「障害が起きたとき誰も対応できなかった」という不安です。
必要なときにシステム・情報にアクセスできる状態を維持することが目的であり、冗長化・インシデント対応手順・復旧設計といった対策が中心になります。
自社の不安はどれが大きいか
この3分類で自社の不安を確認すると、育成すべき人材像が見えてきます。
| 主な不安 | 内製化すべき機能 |
|---|---|
| 情報漏洩(機密性) | アクセス管理・情報取扱ルールの設計と運用 |
| データ破壊・改ざん(完全性) | バックアップ設計・インシデント対応手順の整備 |
| システム停止(可用性) | 復旧手順・事業継続計画(BCP)の設計 |
3つ全部が不安という場合も多いと思います。その場合は「最悪の事態として何が一番困るか」という問いで優先順位をつけます。
市場の実態|社内育成が重要になる理由
「セキュリティ担当者を採用すれば良いのでは」という選択肢もあります。しかし市場の実態はそれを難しくしています。
IPA情報セキュリティ白書2025によると、2024年12月のセキュリティ人材の転職求人倍率は54倍に達し、IT業界における順位が1位となっています。また日本のサイバーセキュリティ人材の不足は過去最大に達しており、必要な専門家が追加で16万9,603人必要とされています(ISC2調査)。
採用競争が激化している市場で、外部からセキュリティ人材を確保することは中小企業にとって現実的ではない場合が多い。だからこそ「社内の誰かを育てる」という選択が合理的になります。ただしその育成も、何の機能を内部化するかという役割設計なしには機能しません。
不安の種類によって変わる資格・スキルの設計
不安の分類が決まると、担当者に取らせるべき資格・スキルが自然に決まります。
情報漏洩が最も怖い場合
アクセス管理・情報取扱ルールの設計・社員教育という機能が中心になります。技術的な専門性より「ルールを作って運用できる人材」が必要です。
取らせるべき資格として、情報セキュリティマネジメント試験が実務に近い。管理部門・総務系の社員が取得することで、ルール設計と社員教育の両方を担える人材になります。情報セキュリティマネジメント試験が管理職・マネージャーに価値がある理由でも整理していますが、この資格は「セキュリティの分かる人間になる」ための入口として機能します。
データ破壊・システム停止が最も怖い場合
バックアップ設計・インシデント対応・復旧手順という技術寄りの機能が中心になります。「手を動かせる技術担当者」が必要です。
取らせるべき資格として、CompTIA Security+が技術実装・運用の知識体系として機能します。CompTIA Security+が技術担当者・エンジニア部門長候補に向いている理由でも整理していますが、現場で手を動かすエンジニアの資格として登録セキスペより実務に近い。
対外的な証明も必要な場合
取引先への信頼証明・入札要件への対応という組織認証の機能が加わります。この場合は担当者の育成と並行して、ISMSや★制度への対応を別途設計する必要があります。
育成が機能する組織・しない組織の違い
しない組織のパターン
IPA情報セキュリティ白書2025では、中小企業がセキュリティ投資を行わなかった最大の理由として「必要性を感じていない」が44.3%、「費用対効果が見えない」が24.2%と報告されています。
「とりあえず誰かに担当させる」という発想で育成を始めた組織では、担当者が孤立しやすくなります。何を守るべきか・何の権限があるか・インシデントが起きたときに誰に報告するかが決まっていない。担当者が熱心に動いても、周囲が「自分には関係ない」と思っている。結果として担当者だけが疲弊する状態になります。これは「必要性を感じていない」という組織文化の問題であり、担当者個人の問題ではありません。
する組織のパターン
「不安の正体を整理してから担当者に役割を与える」という順序で動いた組織では、担当者が「自分が何をすべきか」を理解した状態で動き始められます。経営が「なぜこの人がこの役割を担うか」を語れる状態にあるため、担当者への周囲の協力も得やすくなります。
まとめ|育成の前に、不安を言語化することが第一歩
セキュリティ担当者の社内育成を考え始めたとき、最初にやるべきことは資格選びでも担当者の選定でもありません。
「自社は何が怖いのか」という問いを経営として立てることです。情報漏洩・データ破壊・システム停止という3分類で自社の不安を整理するだけで、内製化すべき機能・担当者に求めるスキル・取らせるべき資格が見えてきます。
そしてその育成を担う人材が市場で極めて希少(転職求人倍率54倍)である現在、外部採用より社内育成の方が現実的な選択肢になっています。だからこそ役割設計を先に整えることが、育成投資の費用対効果を決める鍵になります。
確認してみる価値があることがあります。「自社のセキュリティ担当者は、何を守るために、何をする役割として任命されていますか」という問いです。この問いにすぐ答えられる状態にあるかどうかが、育成が機能しているかどうかの一つの判断材料になるかもしれません。


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